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インタビュー

科学者、下田真吾はなぜヒトの知能の謎を解決しようとするのか?その目的は、地球外生命体の発見

2020.10.08

下田真吾氏は大学院時代、非常に小さな重力環境で動くロボットの開発を行ってきた。このような環境で動くロボットは、彗星や小惑星といった小型天体を探査し、人類の新しいフロンティアを開拓するというミッションを担うことになる。しかしながら、現在のロボット制御手法を駆使しただけでは、彗星や小惑星のような人の手の届かない未知環境で、ロボットが自律的に動いて探査を行うことは不可能である。「宇宙開発によりもたらされる、次の偉大なる一歩は、惑星や衛星・彗星などでの地球外生命体の発見だと考えています。それを成し遂げるためには、宇宙で動作するすべてのシステムに高度な知能が必要です。しかしそれはいわゆる深層学習やビッグデータの類ではなく、物事の柔軟な理解や適切な意思決定ができる、まさにヒトのような知能なのです」と下田氏は語る。

ロボットの知能が抱える限界を克服すべく、下田氏は米国マサチューセッツ工科大学(MIT)に渡り、博士課程の客員研究員として1年を過ごした。「MITで行った研究を通して、ロボット知能の限界を克服する鍵は、脳や生物の制御原理から得られるのではないか、と思い至ったのです」そして、生物の制御原理の中でも、ヒトや生物の持つ未知環境への適応能力こそがその鍵になる、と下田氏は考えている。

ヒトはスマートフォンを見たり本を読んだりしながら歩くことができる。「我々は、意識を他のことに向けつつ歩き続けることができます。その際、地面の勾配や表面の状態の変化など、細かいことを気にせず、無意識の中で対応します。歩行という行動に限らず、我々の行動のすべては、このような『無意識の知能』によって支えられています。こうした無意識の行動をどのように行っているのか。これは私にとって最も重要な問いなのです」と下田氏は説明する。下田氏によれば、身体の変化を含む新しい環境への適応は、どんな動物にも備わっている基本的な能力であり、この能力こそがヒトの持つ柔軟な知能の根底にあるものだという。その一方で、現在のロボットの制御に決定的に欠けているものでもあるという。しかしその「柔軟な制御装置」自体がヒトの無意識の一部であり、意図的な制御がきかない部分であるならば、一体どのように研究すればよいのだろうか?

下田氏は、柔軟なロボット制御を目指すため、まずは生物制御原理を解明する方向へ研究を転換した。現在は脳卒中などによる運動障害からのリハビリでは、どのようなプロセスで運動機能が回復し、どのような介入が有効であるか、を一つの対象として研究を進めている。患者の回復過程の観察は非常に需要な転機だった、と下田氏は言う。「脳卒中からの回復の過程は、非常に顕著な新しい環境への適応です。脳卒中により、機能の一部が失われた状態から、残された部分を利用して回復する。この事実はヒトの制御原理への理解を深め、患者の中で起きている現象を知り、適切な治療への手助けとなるのです」

下田氏は、脳卒中患者やパーキンソン病患者など観察を通じて、その筋肉の活動の詳細を解析することが、生物の制御原理を理解する一助になると考えている。さらに、疾患や障害のない人でも、その筋活動を見ることで、『無意識の知能』の全容をとらえることができるのではないか、と考えている。「日本人の10人に1人が頭痛を抱えながら、日常生活を送っている、と言われています。片頭痛を含む様々な疼痛の原因が、無意識の知能のアンバランスとして、筋活動に現れてくる可能性があります」と下田氏は言う。パーキンソン病では、患者の運動時に観察される生体信号が疾患の進行と相関する可能性もあるという。「身体システムへの理解を深めることができれば、これから先、体にどんな変化が起こるのか、またどうすれば回復するか、を予測したり、継続的なリハビリ効果を患者さんに伝えることができるようになったりするかもしれません」と下田氏は述べる。日常的に筋活動などの生体信号を記録すれば、日々のリハビリによる効果を患者に示し、リハビリのモチベーション向上につながるかもしれない。

下田氏の率いる知能行動制御連携ユニットが目指すゴールの1つは、生物制御原理を解明し、ヒトの神経系のバランスを保つためのモニタリングシステムの開発である。「私の研究の観点から言えば、バランスの取れた無意識の知能こそが、Well-beingの源なのです」と下田氏は語る。バランスの取れた無意識の知能とは、どのような状況でも、様々な選択肢の中から無意識に最も適切なものを選ぶ能力であり、身体と環境の相互作用を通じたこれまでの経験により、蓄積されたスキルであるといえる。何が「よい」かは個人の嗜好や経験や状況によるが、無意識の知能をうまく調整し、その環境でより快適に生活ができるようにすることを、下田氏は目指している。

「人工知能、つまりAIは我々の持つ知能の一面でしかありません」と下田氏は言う。「我々の知能のもう一方の側面である無意識の知能は、もっと注目されるべきものです。無意識の知能をより深く知ることで、柔軟なロボットやシステムを開発するためのヒントが見つかるはずです。」地球にいながらにして、下田氏の目は常に空に向けられている。リハビリや生活の質の向上を目指し、そしていつか地球外生命体と出会える日を目指して、下田氏はヒトの脳からインスピレーションを引き出し続けている。

インタビュー&英語原文:Amanda Alvarez