理研CBS-トヨタ連携センター

コミュニケーションする2人の脳活動をハイパースキャニングで計測 「Well-beingダイナミクスの解明を目指して」

社会課題としての「well-being」が、政策、経営、教育、医療など各方面で注目されている。WHO(世界保健機構)によれば、well-beingとは「個人と集団が経験するポジティブな状態」。これまで豊かさの指標とされてきたGDP(国内総生産)にかえて、人々が幸せに暮らせる社会の指標として盛んに取り上げられるようになった。それに伴い、well-being研究も活発だ。新たなモビリティーの可能性に取り組むトヨタは、人間をより深く知ることで快適な製品を生み出すヒントを得たいと、理研との連携に期待する。一方、Well-beingダイナミクスを脳神経科学で培った知見と技術によって明らかにすることを目指すBTCC個体間脳ダイナミクス連携ユニットの小池耕彦ユニットリーダー(以下、UL)は、人と人のコミュニケーションから生まれる共感を2人同時のfMRIイメージングによって観察し、コミュニケーションにおける神経基盤の理解を深めようとしている。コミュニケーションはwell-beingの重要なテーマの一つだ。

小池ULは、「well-beingとは、“いい感じ”と言い表すのが一番ピッタリです。何かしていて楽しい。持続的に起こるポジティブな状態」と話す。ほかの人と感情や感動を共有することは、心が弾む楽しい経験だ。仕事や暮らしをスムーズに進める鍵でもある。そんな状態を科学的に解析することができるのだろうか。それにはどんな方法があるのだろうか。小池ULは、人と人との関わり合いが生む共感をハイパースキャニング(複数同時脳活動記録)で調べる研究を進め、2人の脳活動を同時に計測できる装置を活用して、コミュニケーション研究を展開してきた。 

コミュニケーションをしている2人の脳の活動状態をfMRI(機能的磁気共鳴画像)で同時にスキャンし、相関を調べる。fMRIは血液中のヘモグロビンが酸素と結合すると磁性が変化することを利用して、脳活動によって血流の変化が生じている部位を高い空間解像度で画像化する装置だ。2人の脳活動の相関を知るには、別々の部屋に1台ずつ設置された装置に実験参加者が入り、2人にオンラインでコミュニケーションをしてもらう。そしてそれぞれの脳活動を同時に計測する。

「人と人のコミュニケーションは協力関係です。一方的な伝達ではなく、互いの理解や同意、問いの予測や答えの期待などを含む相互作用です」。得られたそれぞれのfMRI画像を解析すると、2人が相手に注意を払いながら対話しているときには、脳活動のパターンが類似する共鳴現象が起きていることが読み取れる。さらに、「同じ画像を見て感想を話し合ったときに、感情が相手の反応によって増幅するかどうか。それもハイパースキャニングで見られるとよいと思っています」と、視覚と言語コミュニケーションを組み合わせた状態の解析にも取り組みたいと考えている。いま、人と人のコミュニケーションは対面で語り合うばかりではなく、オンラインやSNSよって、離れたところでのやり取りも盛んに行われる。対面とバーチャルなつながりで、共鳴の様子はどう違うのだろうか。

課題はまだある。ハイパースキャニングで観察される共鳴現象は果たしてコミュニケーションの結果なのか、それとも良いコミュニケーションの原因なのか。また、コミュニケーションが行われたときに脳内では実際に何が起こっているのだろうか。研究の次の目標はどうして共鳴現象が生じるかを解明することだ。 「どんなメカニズムが働いているかについて、数理モデルを作って説明したいと考えています。脳の形が類似しているほど共鳴しやすく、また脳の興奮性細胞と抑制性細胞のバランスが良いとコミュニケーションがうまくいくことは知られていますが、人と人の間で情報がどう伝わるかはまだほとんど分かっていません。仲立ちになる脳の神経細胞がどう繋がっているのか、モデルを作って説明したい」。また、「研究者が、こうするとwell-beingが向上すると示し、それを企業や社会が社会設計や制度設計に活かしてくれると良いと思う」と、研究成果の社会への還元に期待を寄せる。

小池ULは、社会の人々とのコミュニケーションから得るところが多いと言う。「研究目的に集中している私たちと違って、研究者でない人たちが何を考えているかを知ることは、研究の大きな刺激になる」と、理研公開日には見学者との会話を楽しむ。BTCCが拠点とする理研脳神経科学研究センターに所属する研究者の研究分野は、医学、神経生理学、心理学、認知科学、人工知能、画像解析など極めて多彩だ。その中で、小池ULは「ひとところに様々な背景を持つ研究者がいる環境はたいへん刺激的」と、研究生活の充実を実感している。

(取材・構成 古郡悦子 / 制作 サイテック・コミュニケーションズ)

良い意思決定と良い科学はどちらも正直であることから始まる

赤石れい氏はこれまでの人生で大胆な選択をためらったことはない。高校時代に芽生えた発達障害への関心に導かれて、彼はミネソタ大学にあるトップレベルの心理学課程を履修し、さらに深く神経科学に飛び込みたいという望みから、帰国した日本で神経科学分野の博士課程に進んだ。そして現在、赤石氏は理研CBS-トヨタ連携センター (BTCC)ユニットリーダーとして、学術研究と社会の間に存在するギャップの橋渡しをしている。「知的な関心を追求するには、研究者は正直で行動的でなければいけません」赤石氏は語る。「私はいまだにこの原則に従っていると思います。粘り強さが必要とされるものですが。今の社会情勢を鑑みても、私の研究を拡げて社会の大きな問題に応用するのに、またとないタイミングだと思うのです」。これは日本において、まさに仕事と生活の価値観が変化しているタイミングであり、科学に基づく普遍的な人間の理解が必要とされている時だからだ。

意思決定の基本的な仕組みに関して、人間はその他の動物とそれほど変わらないかもしれない 。どちらも同じ報酬(例えば食べ物)によって動機づけられ、恐怖や不安を感じればその対象を拒絶する。意思決定は、探索(exploration)と活用(exploitation)に関する利益とコストのバランスに分解できる、と赤石氏は言う。「動物にとってはいつもの縄張りや環境の中で餌を採るか、それともその外まで出かけて行き餌を採るかの違いかもしれません。しかし人間の場合、その意味するところはより複雑になります。新しい価値やライフスタイルを積極的に試し、そしてそれらを受け入れるのか、それとも固定された行動のパターンによる狭い範囲での効率性や親しみや実感が湧くかを優先するのか、その決断によって大きな違いが生まれます。日本でも世界でも、社会構造や人間同士の関係性は変化しています。人々は新しいコミュニケーションスタイルやそのツールが導入される状況に合わせて、今まで親交のない人と新たに信頼や友好関係を築くことなどをを学ぶ必要があります。もしこういった新しいスタイルの探索しなければ、多くのチャンスを逃すことになります」赤石氏は語る。探索するという意思決定は革新を生み出す考え方と密接につながっており、このような範囲を広げて世界をとらえる考え方こそ日本社会やその経済活動が苦戦してきたところである。

安心を重視する心理と未知のものでも信頼してみようとする心理とのバランスは、赤石氏が用いる囚人のジレンマなどの社会的な場面での意思決定の仕組みを調べる社会経済ゲームによっても実証されている。このゲームでは通常、人々は自分の長期的な利益になる場合であっても短期的な報酬にこだわり、協力や信頼をしない傾向がみられるという結果が得られている。赤石氏のバージョンでは、2人の「囚人」に加えて、2人のやりとりを協力的な方向へ導きゲームに影響を与えることができる3人目が存在する。「この3人目は兄弟げんかの仲裁に入る親のようなもの。私たち人間がどのようにして集団内でコンセンサスを創り、価値観を共有していくのかを表す、より大きな社会的な文脈を模しています」。

赤石氏は自らを“意思決定(神経)科学者”と呼ぶ。彼はリチャード・ファインマンなどの物理学のアプローチに倣って、人間行動学の領域においても、実際に起こる現象の観察と定量的な数理モデルによる記述を行き来しながら研究を進めたいと切望している。赤石氏の数理モデルは「どのような状況で人間の行動は合理性から逸脱する」かを説明する、人間行動の計算理論といえる。「非合理な行動自体に目的はないように思えるが非合理的な行動は起こります。このような行動は(狭い範囲での)合理性に基づく予測からは説明できません」。理想化された意思決定と、神経経済学や意思決定神経科学の分野で観察されている実際の人間の行動との間にあるギャップについての研究を引用しつつ、赤石氏は語る。「神経科学の分野がこの問題に実際に本格的に取り組むまでに時間はかかったが、意思決定における不合理性やバイアス、意思決定の慣性といった問題が世界的な脳科学の研究で新たに注目を集めています」。これらの現象は意思決定における本質的な情報処理として脳内でそのメカニズムを同定することができる。例えば、悪い結果を招くとわかっているのについ何度も同じ選択してしまう、といった偏った意思決定やその慣性について計算モデル化や脳機能の測定が可能になり、数十年にわたりお手上げだった行動経済学の難問についに挑むことができるようになっている。誰しも身に覚えがあるこの意思決定の問題は「日常生活に深く根差していて、科学的にも重要であるものの、脳科学の研究の主流トピックとして受け入れられるようになったのはごく最近のこと」と赤石氏はいう。

赤石氏の研究室の名称である「社会価値意思決定連携ユニット」にはこれらのテーマがすべて盛り込まれている。「社会価値」は、意思決定の科学を社会にとってより身近にしたいという赤石氏の目標に由来する。「連携」はBTCC内におけるこのユニットの立ち位置を表すと同時に、基礎研究と応用研究の橋渡しをする赤石氏の社会の中での役割も示している。赤石氏は自身を異なる価値観を持つコミュニティーを結びつけるつなぎ役・コネクターとして考えている。Twitterなどのソーシャルメディアも積極的に活用している。「個人としてもプロフェッショナルとしても、ネットワークレベルの問題にどう切り込めるのかを考えています。例えば、どうしたら人々は自身の属するネットワークやコミュニティー利用して利益を得るだけでなく、そのコミュニティーに価値を創り与えるように行動できるのでしょうか?」

社会ネットワークやコミュニティーの役割は人々の幸福・Well-beingには欠かせない、と赤石氏は言う。そして、人々が健康で幸せである“Well-beingな社会”の推進は、BTCCの目標でもある。「コミュニティーのもつ社会的な繋がりのパターンを調べ、それらがそのコミュニティーが環境に適応するのに適切な状態になっているか考えてみる必要があります」と赤石氏は説明する。安定した環境では、外部の集団と情報交換する必要性は低く、交流は安全な“内集団”に限られる。しかし環境に急激な変化が生じるような場合には、外部とのコミュニケーションを活発にし、“内集団”の枠を超えて信頼を拡大してそのコミュニティーの社会的な繋がりを急速に広げなければならない。このような適応的な社会ネットワークがコミュニティーのひとりひとりの健康と幸せ、つまりwell-beingを守るために役立つ。「優れた意思決定には信頼のおけるパートナーからの情報が不可欠。またそのためには価値を共有することから生まれる信頼が必要です」と赤石氏は言う。「他者からの情報をもとに行動し協力するためには、相互の信頼が必要なのです」。このような状況でこそ「囚人のジレンマ」ゲームの3人目の仲介役が信頼のギャップの橋渡しをする役割が重要になる。より広汎な人間関係の中で信頼を築きあげる機会は新しいコミュニケーションのテクノロジー導入によって増えるだろう、と赤石氏は言う。「いま、社会ネットワークの活用は社会全体を見た時に最適化されておらず、信頼は大きな社会問題となっています。私が掲げている目標の1つは、人々が互いによりよく関わりあい、社会集団を通じて信頼を築く方法を見つけることなのです」

以上のことからも分かる通りコミュニケーションはwell-beingの中心にある。「個人と個人や個人と組織、社会、または国家との間の対立はこれからも常に存在するでしょう。こうした対立を解決し、目標や情報を共有するには、より良いコミュニケーションが必要です」赤石氏は説明する。「コミュニケーションの成功には正直さも鍵だと思います。すでに確立された視点を覆すような知識が共有されたり、イノベーションが起こったりする研究の世界では特に重要だと思います」。赤石氏は、STED顕微鏡の開発者であるステファン・ヘル氏を例に挙げる。「2015年に開催されたリンダウ・ノーベル賞受賞者会議で彼に会ったのです」。ヘル氏の超高解像度顕微鏡のアイディアは、発想した当時は受け入れられず、彼はキャリアを通じて自分のアイディアに正直であることからくる苦難を乗り越えてきた。赤石氏は回想する。「独立ポジションを探している身で、たとえ厳しい結果に直面するとしても、科学的なアイディアに対して正直であるべきか、ヘル氏に尋ねてみました。すると彼は、もちろん、と答えたのです」アイディアを他人に受け入れられやすいようにプレゼンする必要はあるかもしれない。しかし結局のところ研究の本質は正直であることなのだ。

インタビュー&英語原文:Amanda Alvarez

クルマ、脳、ヒトの本質 - ユニークな連携で“Well-beingな社会”の進展を

自動運転車やスマートホ-ム技術、環境に優しい建物などが集結し、実際に人々が生活するテストベッド(技術検証コミュニティ)であるコネクティッドシティ。自動車メーカーのトヨタがこの都市プロトタイプを発表した時、注目のほとんどはそのデザインやモビリティ―・ソリューションに集まっていた。しかし、2021年に着工されるこのコネクティッドシティやほかの同じような実験コミュニティが成功するかどうかは、テクノロジーではなくバイオロジーに大きく依存するのかも知れない。あちこちに設置されているセンサーや新しいマシンを住民はどのように利用し受け入れるのか、そしてこのような環境が対人関係や生活の質にどのように影響するのか。これらはこれから答が出されていくであろう課題だ。

進化するコミュニティや未来社会の心理的な観点を研究するため、トヨタは自然科学の総合研究所である理化学研究所(理研)の脳神経科学研究センター(CBS)と連携している。2007年に設立された理研CBS-トヨタ連携センター(BTCC)は、心、身体、個人そして集団がどのようにWell-beingを達成し向上しうるか、という問いにその研究の焦点を移しつつある。

脳研究と自動車会社は自然なパートナーには見えないかもしれない。だが、BTCCセンター長の國吉康夫氏は、理研とトヨタは長期的な目標を共有していると言う。「ヒトの性質の深い理解に基づいた“より良い未来の社会”を、我々は創りたいのです。すべてのモノと人が繋がるよう設計された都市で、人々の良い生活や生きるモチベーションを担保できるのか?新しいサービスやモビリティ様式はどのように社会やコミュニティの形成に影響するのか?そして、何が都市を楽しく活き活きとさせるのか?BTCCはこれらのメカニズムを明らかにしたいのです」國吉氏は語る。日本語的にゆるく翻訳するならば、その指針は「脳科学が先導する活気のある社会の実現」である。

これらの抽象的で学際的な問いに挑むにあたり、BTCCは過去のドライビングの研究、脳卒中後のリハビリや脳と身体のつながりの研究などにおける過去の実績を足場にしている。BTCCで既に確立している北城圭一氏下田真吾氏それぞれが率いる研究ユニットは、脳卒中後の運動や認知機能の回復を評価し、改善する新たな方法を発見したり、脳機能のうち熟練した運転に貢献する因子を研究したりしてきた。

赤石れい氏が率いる新規BTCCユニットは、意思決定の科学を基盤としながら、人が不慣れな状況において、どのように信頼を確立し、良好な関係やコミュニティをデザインできるのかを研究していく。このユニットは、どのように人間と機械や人工知能を調和させることができるのかも同時に研究していく。

今後、3つのユニットはそれぞれの研究の結果や手法を応用し、Well-beingの要素を探求し特定するという、この連携の目標に向かっていく。例えば、筋肉の凝りから集団や社会ネットワークにおける意思決定行動まで、身体および精神の個人差データを集積することで、ヒトのより高次なレベルの感情状態を研究者が予測するのに役立てる。そして、この高次レベルの感情状態の予測によって、今度はコネクティッドシティのようなWell-beingを推進させる良好な環境をどのようにデザインできるのか、についての情報を得ることができる。

「Well-beingには身体の健康からメンタル面、ソーシャル面の健康など、様々な観点がある」と國吉氏は語る。「BTCCが擁する3つの研究ユニットは、これらの観点に個別に焦点をあてて研究し、さらにそれらを統合していきます。Well ‐beingの具体的な測定方法や、基礎研究をより大きなスケールでの成果へとつなぐ具体的な方法を見出だしたい、と我々は考えています」

我々人類がポスト産業社会へと移行していく中で、10年以上にわたり脳科学と工学の融合分野で積み重ねてきた研究実績を武器に、BTCCはヒトの性質を方程式に組み込むという課題に挑むのにうってつけの位置にいるといってよいだろう。

インタビュー&英語原文:Amanda Alvarez